テラス・デュフラン ~Secret rose garden
カナダにもフランス語で話す地域があることがわかり、初めて勇輝にメールをしたあの日から二ヶ月。今日はエマがセナの家を出て、カナダへと旅立つ日だ。
セナの車で送ってもらい、二人は今、シャルル・ド・ゴール国際空港のロビーにいる。
「二ヶ月って意外とあっという間だったね」
長いようで短かったセナの有給休暇は、気づいたら終わっていた。そのあとも飛行機代を稼ぐためにセナの家に居候させてもらっていたエマだったが、数日前、目標にしていた金額が貯まったのだ。
「本当ですね。セナさんといろんなところを回れて、すごく楽しかったです」
「いいのいいの。私もなかなか一人じゃ行けないからさ。逆に付き合ってくれてありがとね」
有給休暇の期間中は、セナが用事があるときはエマは絵を描いてお金を稼ぎ、セナが暇な日は彼女の行きたい場所に二人で出かけたりして過ごしていた。
水族館や遊園地、美術館に動物園。たくさんの場所に行って、いろんなものを食べて、いろんな話をした。
「エマとちゃんと、仲良くなれた気がするよ」
初めて出会ったときは、エマはいきなりセナの家に押しかけて、そして長期滞在することなくすぐ旅に出てしまった。定期連絡で声は聞いていたものの、しっかりと顔を見て会話をして、長い間一緒に過ごしたのは今回が初めてだ。
「……私もです」
セナの言葉に、エマもはにかんで頷いた。
「今回も、なんかあったらちゃんと連絡するんだよ」
「はい」
空港のロビーで、エマとセナはしっかりと抱き合った。
「ありがとうございました」
「うん。行っといで」
「行ってきます」
次はいつ会いに来られるかわからない。
エマは心を込めて、今までのお礼を口にすると、セナの腕の中から離れた。
「……幸運を」
飛行機の搭乗口に向かい、やがて見えなくなったエマの背中。その背中に、セナはいつかカイルがエマに送った言葉と似た意味の言葉を、小さな声で呟いた。
シャルル・ド・ゴール国際空港から、モントリオールにあるピエール・エリオット・トルドー国際空港までは、約八時間。久しぶりの飛行機の中で、フランスに向かう飛行機でもしたように窓から空を眺める。流れていく白い雲を視界に入れながら、エマはモントリオールに想いを馳せた。
日本からフランスまでに比べたら、若干短い空の旅。以前よりも余裕があるエマは、着いてからのことを考えてみたり、バラの絵を描いたりとのんびりと空の旅を満喫する。
「まもなく、ピエール・エリオット・トルドー国際空港に到着いたします」
機内にアナウンスが入ると同時に、シートベルト着用のランプが点灯した。エマは出していた道具をすぐさま片付けると、シートベルトをしっかりと締めて着陸に備える。窓からは、フランス、ヨーロッパの大地とはまたすこし違う、カナダ、モントリオールの大地が広がっていた。
「エマ! こっちこっち」
「――勇輝さん、わざわざありがとうございます」
飛行機を降りて到着ロビーを出ると、エマの耳に懐かしい声が聞こえてきた。声の出所を探してキョロキョロと辺りを見回すと、片手を上げながら自分に近づいてくる男性に気づく。
二年前より少し伸びた気がする黒髪に、細長い目を持つ彼は、間違いなくあの日出会った勇輝本人で、エマも声を上げて近づいた。
「気にしないで、案内するって言ったのは俺なんだし」
なんでもないという風に笑う勇輝は「久しぶりだね」と言って笑った。
「お久しぶりです。私としては感謝してもし足りないくらいなんですけど……」
「ならそうだ。エマの旅が全部終わったら、その話で小説を書かせてくれないかな?」
「小説を、ですか?」
申し訳ないと苦笑するエマに、勇輝はいいことを思いついたとばかりに手を叩いた。しかしエマは、勇輝に言われた内容がよくわからずに首をかしげる。
「売りに出すとかじゃないんだ。せっかく聞いたこの話を、俺自身が小説として書いてみたいんだ。目的を持って旅をし続けるなんて、あまり経験できることじゃないだろう? だから、エマの話を詳しく聞かせてくれて、小説っていう形あるものにしてもいいなら、俺は協力を惜しまないよ」
小説というものを書いたことがないエマにとって、自分の旅が本にできるなんて言われても実感は湧かなかった。けれど、感謝をしている人にそうしたいと言われてしまえば、断る理由はどこにもない。
「私の話でいいのなら……あ、もしできるなら、本になったときには私と、私の友人の分もいただいたりできませんか? もちろんお金は払うので」
「そんなの当たり前じゃないか。お金なんていらないよ。俺は、自分が面白いと思った話を、感動した話を小説として残したいだけなんだから」
この軌跡が本になるのなら、応援してくれて協力した人たちにも渡したいとエマは思った。そのことを勇輝にも伝えれば、彼は当然だろうと笑う。
「……ありがとう」
「俺がしたくてするだけなんだから、気にしないでってば」
数分前にしたようなやりとりに気づいた二人は声を出して笑ったあと、ようやく空港のロビーを出たのだった。
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