小さな軌跡を探す旅 ~Secret rose garden
「……どうして、そんなに良くしてくれるんですか?」
皿を洗うエマの手元から、かちゃかちゃと音が聞こえてくる。その音にかき消されてしまいそうなほど小さな声のエマに、セナは苦笑した。
「……どうして、か」
椅子の背もたれに背を預けて天井を見上げたセナは、そのまま目を閉じた。
どうしてと聞かれて、説明できるほどの大層な理由はセナにはない。強いていうなら、エマの力になりたいと言った親友である幸代のため。彼女のために、エマに優しくしているのだとセナは思った。
「申し訳ないけど、私にはそんなに大それた理由はないよ」
目を閉じたままで、セナはポツリと言葉を落とした。閉じていた目をゆっくり開くと、自分の家の白い天井が眼前に広がる。視線は天井に向けたままで、セナは再び口を動かした。
「理由を作るのなら……、女一人でフランスの地を踏んだ先輩として、可愛い後輩を助けてあげたいってところかな」
「セナさんも、一人で……?」
俯いていたエマが、おずおずと顔を上げた。なぜセナは一人でこの地に来たのかが気になったのだ。
「そうだよ。あの頃は私も若かったなあ」
一瞬エマの方を見たセナは眉を寄せて苦笑すると、昔の話を少しだけエマに話した。
セナ自身、もともとは日本で文字を書く仕事を志していた。当時は、女のライターが少なくて仕事をあまりもらえなかったために、日本で仕事ができないなら自分で仕事ができる場所を探そうと、以前旅行で訪れたことがあったフランスへ単身乗り込んだのだと、セナは語る。
「んで今は、パリで日本人向け情報誌の副編集長って椅子に落ち着いたところ」
最後はふざけたように、セナはパチンとウィンクをして締めくくった。
「…………」
セナの話を聞いたエマは、なんと答えていいかわからなかった。単純に「すごい」と思ったが、それを言葉にするのも違う気がした。セナの歩んできた道に対して、軽い気持ちで答えるのがはばかられて押し黙る。
「あとは、というかこれが一番の理由なんだけど……。幸代があんたを助けたいって望んだから、私もあんたを助けたいって思った。それだけだよ」
「幸代さんが……」
日本にいたとき、幸代はエマのバラの絵を気に入り、購入してくれた。そして、パリに住んでいるセナのことを教えてくれたのも幸代だ。エマが今こうしてフランスに無事にくることができたのも、彼女のおかげと言っても過言ではない。
「……エマがおばあちゃんのお墓を見つけることが出来たらさ」
「……はい」
「幸代にも教えてやってくんないかな。絶対、すごく喜ぶからさ」
目を細め、遠くを見つめるセナの頭の中には、今きっと幸代がいるのだろう。その表情から、セナがどれだけ彼女を大切に想っているのか、エマにも伝わってくる気がした。
「セナさんにも、幸代さんにも。絶対に連絡します」
「ん、ありがと」
「私の方こそ……本当に、ありがとうございます」
幸代がエマに力を貸してくれる理由はまだわからない。それでもセナの話を聞いて、彼女たちの手を取らないという選択肢はエマに浮かばなかった。
そのあと、セナがエマに紹介したいという人と連絡を取り、ちょうど八日後に会えることになった。その人と会った日に、そのままエマは旅立つことになっている。だが、セナはいつでもまた来るようにと、そして、定期的に連絡をするようにとエマに告げていた。もちろん、エマももう断ることはせず、深く頷いたのだった。
それから一週間、エマはセナに依頼されたバラの絵の作成と、セナの家から通える範囲の墓地の散策をしていたが、いまだに手がかりはない。
さらに、二日前にはセナが編集した情報誌が発売されていた。その情報誌の最後には、カミーユの情報を求めるページが追加されている。だが、それらしき連絡はまだ入ってきていない。
「さて、行こうか」
「はい」
八日目の今日、セナの言葉に返事をしたエマは、バックパックを手に持つと立ち上がった。すでに中身は確認し終わっていて、出発の準備は万端だ。
「本当にこのまま行くの?」
発進した車の中、ハンドルを握ったセナが、前を見ながら呟いた。
「はい。ずっといると、そのまま動けなくなっちゃいそうで」
一緒にいた期間は二週間にも満たなかったが、セナとの暮らしはとても楽しいものだった。
初日以降は朝食はエマが担当し、セナと一緒に出来上がったご飯を食べた。セナを見送ると同時に家を出て、エマも墓地巡りへと出発する。遅くなって帰ってくるエマに、セナはいつもご飯を作って待っていてくれて、夕食を食べながらその日一日の話をする。
とても、有意義で素敵な時間だったからとエマは口にした。
「それに、早くおばあちゃんに会いたいので」
「そっか」
エマの心の中で、カミーユに会いたい気持ちは今までよりも大きくなっていた。もちろん、唯一の繋がりがカミーユだけだからという気持ちは大きい。けれどその気持ちとは別に、自分に協力してくれている幸代やセナ、バラ農園の誓子と哲也、そして育ての親でもある雄子にいい報告をしたいという気持ちも大きくなっていた。
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