数十年後。
たくさんのバラに囲まれた大きな家に、一人のおばあさんが住んでいた。彼女の名前はエマ。このバラは、ともに歩んできた愛しい夫、ルイが大切に育ててきたバラたちだ。
数年前にルイが亡くなってしまったあとも、エマは毎日かかすことなく、大切にバラの花たちを世話していた。
エマがいつものようにバラに水をやり、家へと戻ると、中庭に続くドアが突然ノックされた。
「どなた?」
中庭にも、ルイが手入れをしていたたくさんのバラたちが咲いている。だが、中庭の先は川になっているため、客人がこちらからくることはない。エマが不思議に思いつつもノックに返事を返してドアを開けるが、そこには誰もいなかった。
——いつも、ありがとう
気のせいかとドアを閉めようとした瞬間、エマの耳にかすかな声が届いた。それはとても小さな声だったが、なぜかはっきりと聞こえていて、エマは首を傾げながらも中庭へと出た。
「誰かいるの……?」
声をかけながら、エマは中庭を進んでいく。中庭は、バラ園のように人が歩く道の脇に沿うようにバラが咲いていた。色とりどりのバラがルイの手によって、種類別に分けられて植えられている。その道を進みながらあたりを見渡すが、バラ以外何も見当たらない。
「気のせい?」
頬に手を当てて、それでも立ち止まらずに進んでいくと、赤いバラが五本、並んで咲いている場所を見つけた。水滴のついているバラは、先ほどエマが水やりをしたときもあったことを物語っているが、エマにはこのバラに見覚えがない。
「こんなバラ、あったかしら……。あら?」
そのバラの前に、小さな封筒が置いてあった。エマは封筒をそっと持ち上げると、中庭に置いてあるベンチに腰掛け、それを開いた。
『エマへ』
愛しい夫、ルイの文字で書かれた自分の名前。エマは反射的に溢れてきた涙を手のひらで拭って、続きに視線を落とす。
手紙には、エマとルイしか知らないようなことがたくさん書いてあった。二人の思い出と、エマへの想いが綴られた手紙を、エマは何度も、何度も読み返す。溢れる涙を拭うのも忘れて、エマは手紙を優しく、愛おしそうに抱きしめた。
「私も、愛しているわ」
青々と澄み渡る空を見上げて、頬を伝う涙はそのままにエマは微笑む。空を飛んでいた白い鳥が、エマに応えるように、嬉しそうに一言鳴き声をあげて通り過ぎていったのだった。
この記事へのコメントはありません。