「バラの、匂い?」
入り口に立って手を合わせたエマは、鼻腔を通り抜ける花の香りに驚いたように声をあげた。慌ててお辞儀をして中に入ると、香りの出所を探す。
墓地の奥に入るごとに強くなるバラの香り。誘われるように進んでいくと、一番奥にバラに囲まれて佇む墓石が二つあった。この場所にある墓石は二つだけのようで、目の前に広がる光景にエマは目を奪われた。
漂うフローラルな香りの先にあったのは、墓石を包むように咲き乱れる色とりどりのバラたち。けれどバラが主張しすぎていてうるさいなんて思うことは全くなく、淡い色のバラも混ざったその光景は、ただただ美しいとしか言いようがなかった。
「っ……これは」
そして、バラに包まれた墓石を覗き込んだ瞬間、エマは大きく息を吸い込んだ。
……カミーユ・ベルラン ここに眠る
両手で口を押さえ、エマはへなへなとその場にしゃがみこんだ。鼻腔いっぱいに広がるバラの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、溢れてくる涙を拭うことなく無言で刻まれた名を見つめる。
「……おばあちゃん」
服が汚れることも厭わず、エマは這うようにお墓に近づくと、彫ってある文字を恐る恐る指でなぞった。確認するように何度も、何度も同じことを繰り返す。そして何度目かわからないその行為を終えたあと、エマは震える声でカミーユを呼んだ。
呼びかけても、答えが返ってくるわけではない。カミーユの記憶がはっきりと蘇ってくるわけでもない。それでもエマには、カミーユのお墓から感じる何かがあった。血が繋がった家族のものだとわかる、何かが。
エマはしばらくバラに囲まれた状態で、カミーユのお墓を見つめていた。見つけた喜びを噛み締めていたのかもしれない。
十分、二十分とときが過ぎ、ようやくエマが動き出した。背負っていたバックパックを地面に下ろして、その中からスケッチブックと鉛筆を引っ張り出す。そしておもむろに、カミーユのお墓の絵を描き始めた。
自分の瞳に映るありのままを全て写し取るように、無心で鉛筆を走らせる。まるで切り取って貼り付けたかのように、スケッチブックの中にリアルに描かれていくカミーユのお墓。
「……君は」
「え?」
あと少しで完成する。エマがそう思って張り詰めていた気を一瞬緩めた瞬間、隣から聞こえてきたのは落ち着いた男性の声。
「驚かせてしまって、すみません」
男性にしては少し高めのトーンで、柔らかく、とても耳障りがいいその声で、男性は申し訳なさそうに頭を下げた。そしてエマの手元を指差すと、ふわりと花が咲いたように彼は笑う。
「実は僕、絵画の売買の仕事をさせてもらってるんです」
男性の指差した先にあるのは、スケッチブックに描かれたカミーユのお墓。
「凄腕のバイヤーってわけではないですけど、それでも……あなたの絵、僕はとても素晴らしいと思いました」
目尻を下げて、フニャリと微笑む男性はそう言ってエマの隣にしゃがみ込む。
「あ、ありがとう、ございます」
「本当のことですから。あ、僕はルイ。ルイ・ド・ディオンと言います。あなたの名前をお聞きしてもいいですか?」
「私は、エマと言います」
「え?」
自分の胸に手を当てて、うやうやしくお辞儀をした彼は名前をルイと名乗った。つられるようにエマも名乗ると、ルイはわずかに目を見開いて、目の前にあるカミーユのお墓とエマの顔を交互に見つめる。
そして、合点がいったように一つ頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「エマ……君は、カミーユおばあさんのお孫さん、ですね?」
エマ自身も、写真を見るまでは自分の祖母の名前がカミーユだとは知らなかった。だがルイは、エマの名前を聞いただけで祖母がカミーユであると言い当てた。今二人の目の前にあるのはカミーユのお墓だけれど、お墓を見て予想したようには感じなかった。
「――なんで、それを」
この記事へのコメントはありません。