電車に揺られること三時間半。モントリオールと同じで、ケベック・シティ旧市街もケベック州の中にある。しかし、ケベック州はかなりの広さがあるため、移動するのにかなりの時間がかかった。
バスを降りれば、フランス、ヨーロッパを彷彿とさせる街並みが広がっている。ここもモントリオールと同じようにフランス語が普通に使われていて、エマは不思議な感覚に包まれながら街を歩いた。
はじめこそケベック・シティ旧市街の街並みに目を奪われていたエマだったが、すぐに気を取り直すと、折りたたんでバックパックにしまっていた記事を取り出した。その地図を片手に、お店の人や街の人に聞き込みを続けていく。
「このお店のこと、何か知りませんか?」
「うーん……ごめんね、知らないや」
何人に聞いたのだろう。夢中で探していれば時間が経つのは早く、すでに日は傾き始めている。オレンジ色に染まる街の中で、それでもエマは根気よく声をかけ続けた。
さらに数人に声をかけたが、期待した情報は得られなかった。あまり遅くなりすぎると宿を取るのも大変になる。エマは今日はあと一件で終わりにしようと決めて、古くからやっていそうな佇まいのおしゃれなカフェに足を踏み入れた。
店内に入り、ウェイターに案内された席に座る。コーヒーを頼むときに、この街のことに詳しい人がいないかと尋ねるとマスターはずっと前から一人でこのお店をやっていると教えてくれた。
「マスターさんに、少しお話を聞けないでしょうか」
本日最後のチャンスだ。エマが懇願すれば、ウェイターはマスターに確認をしてくることはできると、笑顔で席を離れていった。
「お待たせしました。コーヒーでございます」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたコーヒーを両手で包み込む。熱々のコーヒーから出る熱が、カップに添えられているエマの両手にもじんわりと伝わってきた。少しの砂糖と多めのミルクを入れて一口含むと、コーヒーのまろやかな苦味と、それを中和するミルクの甘みが口いっぱいに広がる。
セナの家で出されたコーヒーに似ているなと思いつつその味を楽しんでいると、不意にエマにかかる影。
「お待たせしました」
聞こえてきた低く落ち着いた声に顔を上げれば、茶色のあごひげをたくわえた、五十代くらいの男性が立っていた。
「私がこの店のマスターをしている、ガブリエルと申します」
白いシャツに黒いベスト、そして黒いスラックス姿のガブリエルは、背筋をピンと伸ばしたまま綺麗に頭を下げた。緩い笑みを湛えた唇から紡がれる言葉は穏やかで、彼の品の良さが伺える。
「お仕事中にすみません。私はエマと言います」
「ご丁寧にありがとうございます。それで、私に聞きたいことというのは?」
立って話すのも行儀が悪いからと、エマに断ってからガブリエルは向かい側の空いている席に腰掛けた。
「はい。この記事に書いているお店を探しているんですが、ご存知ではしょうか?」
ガブリエルが椅子に座ったのを確認すると、エマはテーブルの上に店の記事を印刷した紙を開いてから置いた。それを向かいにいるガブリエルが見やすいように差し出せば、彼は顎に左手を添えて、その紙を右手でそっと持ち上げた。瞳の動きから、記事の内容を読んでいることがわかり、エマは無言で終わるのを待つ。
「……ここは、おそらく数年前に閉店したお店だと思いますね。理由は確か、花屋を営んでいたご婦人が亡くなったからだったかと」
確認し終えたガブリエルは、落ち着いた声音で、静かに言葉を落とした。その内容に、エマはお店が見つかったことの嬉しさと、手がかりがまた途絶えたことの落胆を同時に感じる。
「ありがとうございます……あの、お店の場所は、わかりますか?」
「ええ。場所は、ここから五分もかからないところです。簡単にでよろしければ、地図をお書きしましょう」
快く笑ってくれたガブリエルに、スケッチブックと鉛筆を差し出した。ガブリエルはページをめくるときに見えたバラの絵が少し気になったようだが、特に声には出さず、指定されたページに簡単な地図をサラサラと書き込んでいった。
この記事へのコメントはありません。